2016/02/26

公開授業研究会を参観して

 2月23日、埼玉県羽生市立井泉小学校(廣瀬仁郎校長)の公開研究発表に参加してきました。全国から参加者が来校し、関心の高さが伺われる発表会でした。文部科学省の「抜本的授業改善」の研究指定も受けているとのことで、「道徳科」時代の道徳授業の一つのあり方を見ることができたように思います。
 1年から6年までに共通するのは、その授業でねらう道徳的価値をもとに設定された「学習課題」を明確に示す授業であった点です。板書にも、
授業全体を覆うかのように黒板の最上部を横断するように学習課題が書かれた文章(横書き)の帯が掲示されました。多くは導入時、一部では展開の始めのほうにかかって児童全体に、本時にみんなで考える課題を確認させていますが、板書を見れば今どんなことを考えているかが常に確認できるようになっていました。これも「問題解決的な学習」の方法の一面なのでしょう。
 そして最も重要なことは、その「学習課題」が設定されるに当たって、事前にとられたアンケートに表れた児童がもつ現状の“意識”に対応する形で行われている点です。児童の意識と指導内容との接点を「児童が解決するべき」学習課題としているのです。元来、授業の「主題」とはそういうものであったわけですが、恥ずかしながら初めて明確に意識しました。
 全体会で演壇に立った永田繁雄先生(東京学芸大学)のお話しにも通じる、子どもの意識を掴んだうえでの発問設定の取り組みと感じました。毛内嘉威先生(秋田公立美術大学)の指導講義にもありました、アクティブラーニングが求められる発想の根底にある「子どもが主体的に関わっていく授業のあり方」に通底するものでしょう。
子どもの主体性をどうやって発揮させるのかが肝心ですね。そのためには、目の前の子どもたちが今、どんなことに関心をもち、自分の現実と将来についてどう思っているかの「意識」を引き出して明らかにするところから始める必要がありそうです。
 従来、副読本に載っている読み物教材では、まずそれを読んで子どもたちの心にどんな思いが立ち上がったかを引き出すところから始めていました。心を揺さぶる感動資料の場合であれば、教師が何をしなくても主人公等に関する思いが表出されるでしょうが、それが道徳授業のすべてというわけではありませんね。、毎時間がそれ、というのも考えにくいです。35時間が同じパターンでは飽きてしまうでしょう。何より、感動が強いほど“多面的・多角的”な追求は難しそうです。自分がよりよくなっていこうとするための道徳教育なら、子どもたち自身の“課題追求”を可能にする授業や教材「も」必要になるでしょう。「考え、議論する道徳」が求めるものもそのようなイメージなのだろうか? と感じた、公開研究発表会でした。

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