2016/01/21

 「道徳科」の授業 「これだけは」と思うこと

 
 第7回も、とても実りある会になったと思います。これも講師の先生方をはじめ、遠路、手弁当でご参加くださった先生方のおかげさまです。ありがとうございました。きっと、お持ち帰りいただいたお土産も確かにあったものと思います。
 あらためて振り返りますと、西野真由美先生がことさら強調されていらっしゃったことが気がかりとなっています。
 一つは、
授業での「問いの質」を大事にしようということ。
 これは、従来多く見られた、読み物資料の登場人物の「心情を問う」発問がダメだというのでなく、それも飲み込むような大きく自由な発想で「問い」を考えましょうということのようです。自由と言われると困る向きもあるでしょうか。では、最も大事にしたいことは何だろうかと考えたとき、これもやはり西野先生のお話しから重要な示唆が得られています。
「子どもから出てもおかしくないと思えるような、子どもの思いに沿った、彼らにとって切実な『問い』で授業の勝負をしてください。」
子どもにとっての“切実感”。どこかで聞き覚えがあります。これは、本会の第1期で活動した「第1分科会」が授業を活性化する発問を追求した際のテーマでもありました。本会の目指す方向を強力にバックアップくださる発言といえます。
 もう一つは、たとえ計画した指導案どおり(予定調和)に授業が展開できなかったとしても失敗とは限らないとおっしゃったことです。時間をかけて多くの指導者の先生方に教えを乞い、何回も書き直した指導案。それでも、授業は予定したとおりに進まないのが常です。がっかりせずに、むしろ授業展開の“選択肢”が増えたんだと受け止め、アクティブに取り組んでいくことが大切だと訴えられました。授業を構想する上で、単線でなく複線で考えていきましょうということですね。「こういうこともできる」、「ああしたらどうなるだろう」と色々なアイデアを楽しんでよいのかもしれません。

 浅見哲也先生の実践報告では、いろいろ授業を工夫して取り組んだ結果でも、子どもたちの中には、ワークシートの記述を見ると、授業のねらいとは関係なさそうなところにずっと留まっている子どもも必ずいて、「あれ?」と思うことがある点を披瀝されました。
 ただ、それも、子どもによって「問題意識」の所在ともち方が異なるので、当然といえば当然なのかもしれません。一喜一憂している場合ではないのです。より多くの子どもたちの意識(関心)に応えるような「問い」を探し出せばよいのでしょう。そのために事前アンケートを行うということもありました。
 授業実践の積み重ねが精度を高めてくれる思うのは楽観主義でしょうか。とにかく失敗を恐れず、教科が正式に発足する前にたくさん授業をしておきたいです。職員室で、授業の失敗談に花が咲くのも面白そうですね。けっして一人で抱え込まないようにしたいものです。

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